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知っておきたいお茶のマナー

知っておきたいお茶のマナー

イスとテーブルの生活が定着し、生活様式もすっかり様変わりしている現代。
でも日本女性として恥ずかしくないだけのマナーは身につけたいものです。
そこで今回は日本の伝統文化の代表ともいえる茶の湯のお稽古です。

■Lesson1 お茶の湯の歴史

■Lesson1 お茶の湯の歴史

講師:伊東 正樵
大日本茶道学会 本部教授 ・ 朝日カルチャー講師
娘時代より約半世紀近くお茶を続けている。現在は大日本茶道学会の本部教授として指導されるかたわら、カルチャーセンターでも講座をもたれるなど広く活躍されています。

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茶の湯の歴史

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日本の文化というと “侘び寂び”の世界といわれます。そんな侘び寂びを体感できるのが茶の湯ではないでしょうか。でも、お茶会に誘われても、作法がよくわからないのでちょっとしり込みしてしまうということないですか?最近では、学校でも茶道を体験する授業があるところも多く、一度や二度はお茶をいただいた経験はあっても、やっぱりちょっと自信がない・・・・。
そこで、今回のネットセミナーでは、日本女性として、これだけは、知っておきたいお茶のマナーを教えていただきたいと思います。  
先生 どうぞ宜しくお願いいたします。


sen伊東先生
宜しくお願いいたします。
そうですね、最近は皆さんお仕事をもたれている女性の方も多く、なかなかお茶のお稽古をされる時間もないということで、敬遠されがちですが、作法自体には全て意味があり、その意味さえ理解していれば、決して難しいことではないんです。
日本人に生まれたからには、茶道の楽しみを味わい、せめてお茶の飲み方だけでも知っておいていただきたいですね。


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はい。また、日本文化に対しても、外国人の方のほうが知識があって、質問されても答えにつまってしまったなんていう話もよく聞きますし、日本文化を見直す良い機会でもありますので、ぜひ基礎知識から教えていただければと思います。


sen伊東先生
それでは、まずは、茶の湯の歴史から簡単にお話しましょうか。


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宜しくお願いします。

お茶の流派

sen伊東先生
お茶ってもともとはどこから伝えられたかご存知ですか?


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ん~、中国ですか?


sen伊東先生
お茶を飲む風習が初めて日本に伝えられたのは、奈良時代(710~784)といわれています。中国へ渡った留学僧によるもので、その頃は貴族や僧侶の間でのみ嗜まれていたようです。当時のお茶は団茶というお茶の葉を固めたものを細かくして、熱い釜の中で煮出したものでした。


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現在のお茶とはだいぶ違ったものだったんですね。


sen伊東先生
そうですね。そして平安時代(794~1185)から鎌倉時代(1185~1333)、二度宋へ渡った栄西という僧侶が帰朝し『喫茶養生記』を著し現在のような茶筅(ちゃせん)で点て(たて)出す点茶法を伝えました。そして、飲んで楽しむものだけではなく、病気にも効く健康回復のための薬として飲むようになり、これが次第に武家の間に広まっていったんです。


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なるほど、今でも抹茶は、カフェイン・ミネラル・ビタミン・などを豊富に含むとして注目されてますよね。すでに この時代からお茶の効用が重視されていたんですね。


sen伊東先生
そして、お茶の歴史に当初から禅僧がかかわっているということも重要なポイントです。
ですから お茶とお寺というのはとても深い関係なんですね。
僧が修業をするのに 眠気覚ましにお茶を飲んでいたという話もあります。


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なるほど。


sen伊東先生
室町時代(1338~1573)になると、新興の武家や守護大名の間で遊びの一つとしてお茶をのむ風習が広がり、お茶を飲んで産地をあてる“闘茶”が流行します。そして権力を誇示する為に室内を飾る中国の“唐物”といわれる高級な茶道具がもてはやされるようになります。


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ようするに 「利き酒」ならぬ「利き茶」ですね(笑)


sen伊東先生
そうですね。そしてこのような華やかな茶会も時代とともにやがて影をひそめていき、室町時代中頃には、奈良の僧侶で一休宗純に参禅した村田珠光(1423~1502)が、禅と茶を結びつけ 簡素で落ち着いた草庵のお茶、いわゆる4畳半くらいの狭い部屋での茶会を楽しんだり、茶道具も“和物”という日本で作られたものを使うようになります。
そして この草庵のお茶を簡素にし、北向きの茶室でのわび茶をさらに進めたのが、堺の茶人 武野紹鴎(1502~1555)です。紹鴎は “唐物”(中国産) “和物”(日本産)に加え、 “高麗”(朝鮮産) “南蛮”(東南アジア産)の道具も使いました。


t“唐物”(中国産)w“和物”(日本産)kk1“高麗”(朝鮮産)


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やっと 私たちがイメージするお茶の世界に近づいてきました!
でも 私たちは茶の湯というと千利休をイメージするんですが・・・。


sen伊東先生
武野紹鴎が千利休の先生になるんです。千利休(1522~1591)は堺の商人の子として生まれ、幼い頃から茶の湯を学び、やがて紹鴎の弟子になります。そして茶の名人としての地位を確立し、織田信長・豊臣秀吉に茶頭役として仕えます。 利休はそれまでの複雑なお茶のお点前(おてまえ)を簡略化し、茶室を南向きにし、4畳半の茶室もいっきに2畳や1畳台目にまで小さくしたりし、侘び茶を完成させます。この侘び茶が現在の茶の湯の基本となっているといっていいでしょう。利休の死後、孫の宗旦が優れた門弟を数多く育て、その子孫によって広く一般庶民へと伝えられていき、現在にいたっています。
※台目(だいめ):一畳の四分の三の広さの畳


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現在の茶道にも表千家や裏千家といった流派がありますが・・・。

お茶は男の世界?

sen伊東先生
お茶の流派も現在では、かなりたくさんあります。代表的な流派を少し紹介しましょう。
皆さんも良くご存知の 表千家や裏千家といった千家茶道のもとを築いたのが、利休の孫である千宗旦(1578~1658)です。その宗旦には4人の息子がありまして、三男の宗左が表千家・四男の宗室が裏千家・次男の宗守が武者小路千家として3千家が生まれました。宗室の建てた『今日庵』が宗左の建てた『不審庵』の裏側だったことより、裏千家といわれたんです。


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なるほど! 


sen伊東先生
その他に利休七哲と言われた大名茶人の細川三斉(三斉流)、古田織部(織部流)、その弟子の小堀遠州(遠州流)、続く片桐石州(石州流)、山田宗偏(宗偏流)等々、表千家・天然宗左の弟子、川上不白(江戸千家)、明治の茶道衰退期に田中仙樵により創立された(大日本茶道学会)等たくさんあります。


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流派によって 作法に違いがあるんですか。


sen伊東先生
多少細かな部分でそれぞれの流派によっての特徴がありますが、基本となる部分は同じです。

お茶を知ることは 日本文化を知ること

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お茶の歴史をお伺いすると、僧侶や武士そして大名とお茶は男が嗜むものであったことが分かりますが、現在はどちらかというとお茶は女性が嗜むというイメージが強いのですが、いったいいつ頃からそのようになったのでしょうか。


sen伊東先生
それでは、もう少し歴史の話をしましょう。利休の死後お茶は、古田織部や小堀遠州などの大名が受けついでいきましたが、江戸時代には、天皇公家たちの間でも盛んに嗜まれるようになります。その後 明治維新によって武家階層の支持者を失った茶の湯は衰退します。すると、高価な茶道具が売りに出されるなどして世間一般にも出回るようになります。もともとお茶というものは、その家に代々伝わる掛け軸や茶道具を拝見するためのものだったんです。そんな時、世間に出回った美術品である茶道具を買ったのが財界人たちで、そういった財界人達による数寄者の茶が盛んになってきて茶の復興がはじまります。現在でも、私達がいろいろな美術館で茶の道具を拝見することができるのも、この財界の人達のおかげですね。


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昔は、一部の限られた人しか、茶道具を見ることができなかったんですね。


sen伊東先生
そして、もうひとつ女子教育として茶の湯が採用され、第二次世界大戦以後、女性の茶道人口が増加していきました。
このように、学校で茶の湯を授業として取り入れたり、今まで見ることができなかった茶道具が一般に公開されてきたことや、そして電化製品の普及により家事が楽になり趣味を嗜む時間がとれるようになったことや女性の地位の向上も大きな要因になっていると思いますよ。


pct1VINICE
でも、お茶の歴史を振り返ると、圧倒的に男性の時代のほうが長いんですね。
ちょっと意外でした。

お茶は究極のおもてなし

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お茶の歴史について 少しは理解できたと思います。
お話にもでてきましたが、お茶ではいろいろな道具を使いますが、美術品としての価値も十分にあります。こういった道具を見る目というものも養わなければならないんですね。


sen伊東先生

そうですね。お茶というのはただ作法を習うということではなく、お茶を知ることで、日本文化が分かると思っていただいたほうがいいですね。
例えば、お茶の場合常に季節の先取りをします。日本だからこそできることですが、茶会では、掛け軸や花 懐石料理で四季が感じられるおもてなしをしなければなりません。
また、その時の道具類は用の美と言って茶室の中で使われてこそ輝いてきますので、その選び方ひとつにも、亭主のこだわりがあります。すべてに深い造詣をもつことが要求されてくるんです。
もちろん、おもてなしを受ける側もひととおりの知識があるとより多く楽しめますね。
茶道はまさに日本の伝統文化の集大成です。


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床の間の掛け軸やそこに活けられている花、そしてお道具の焼き物や塗り物まで知識がないとだめということですね。う~ん 奥が深いですね。一夜漬けでどうにかなるものではないですね。とても難しそうですが、ますます興味が湧いてきました。


sen伊東先生
そうですね。おいしくお茶をいただくのが目的ですから、他はそのための演出と考えてください。
利休は 
茶の湯とはただ湯をわかし茶をたててのむばかりなる事と知るべし (利休百首より)
といっています。
ですから、茶道のお稽古の目的は、おいしいお茶をお客様のために点てることです。
そのために、庭や茶室のお掃除をして、道具の組み合わせに知恵をしぼり、床に軸や花を飾り、懐石料理やお菓子を吟味するんです。その準備に数ヶ月を費やすなんてこともあるんですよ。


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え~、一大イベントですね。


sen伊東先生
何より、お客様に精神的な満足感や充実感をあたえることが大切なんです。千利休は秀吉が出陣する前にお茶を点てたといいます。戦にそなえ、精神統一させることが目的だったのではないでしょうか。2畳たらずの狭い空間で、相手の心臓の鼓動も聞こえるくらいの距離でお茶をたて振舞う。相手が今何を考えているのかが手に取るように分かるそんな空間で相手に精神的な安らぎを与える、まさしく思いやりの精神です。
ですから、もてなされる立場で、あまり堅苦しく考えず、最初は見よう見真似でいいので、例えば、お隣の方の真似をしてみてください。経験を重ねることで、作法も身についてきますし、興味も湧いてきます。そうすればおのずと、知識もついてきますよ。


pct1VINICE
わかりました。

知っておきたいお茶のマナー
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