vinice
演劇や音楽、工芸技術などの形のない文化的所産で日本にとって歴史上、芸術的価値の高いものに指定される「重要無形文化財」の1つに「能」があります。
今回は、以前、「能」の舞台に立っていた梅若さんに「能」の世界について教えていただきたいと思います。
日本の伝統芸能の舞踊には、「能」の他にも「狂言」、「歌舞伎」などがありますが、まずはそれらの違いについて教えてください。
「安宅(あたか)」 梅若晋矢氏
梅若 先生
「能」と「狂言」は、「歌舞伎」よりも歴史が古く、鎌倉時代の後期から室町時代の初期にカタチができ、観阿弥・世阿弥の親子が作ったものです。
「能」と「狂言」の全盛期は、上流階級の人たちが楽しみ、一般大衆の人は見ることはほとんどなく、江戸時代に入っても格式が高いものでした。 そして、「歌舞伎」は江戸時代から始まり、「能」と「狂言」をもとに作られた演劇です。
「能」と「歌舞伎」の演目の中には、曲目は異なっても内容が同じものがいくつかあります。有名なものだと、源頼朝に追われている源義経が安宅(あたか)という関所を突破する、「能」では『安宅(あたか)』という演目で、「歌舞伎」では同じ内容で『勧進帳(かんじんちょう)』という有名な曲目があります。
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具体的には「能」と「歌舞伎」はどのように違うのですか?
梅若 先生
まず、何よりも演じ方が異なります。「歌舞伎」というのは、江戸時代に広く一般の方にも楽しんでもらうためにつくられた公衆演劇で、より派手に、また、インパクトがあるような激しい動きが多くあります。
逆に、「能」はシンプルです。極力簡素化された空間で、余計なものをそぎ落とした動きと舞い、謡(うたい)・囃子(はやし)で表現するものです。「能」はシンプルであるが故に、観る側の想像力がとても働くといっても良いでしょう。
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なるほど、「能」の方がシンプルな演劇なのですね。「歌舞伎」というと、結構派手なメイクをほどこすという印象が大きいのですが、「能」も「歌舞伎」のようにメイクをするのですか。
梅若 先生
「竹生島(ちくぶしま)」左写真:梅若慎太朗氏 右写真:梅若晋矢氏
「歌舞伎」はメイクをしますが、「能」は一切しません。そのままの顔か、または面(おもて)をつけます。
演目によって、かつらをつけるときもあります。女性の役のときは長い髪をつけたり、亡霊の役のときはおどろおどろしい髪をつけます。
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ところで、「能」は何かをもとにして作られたのですか。
梅若 先生
「能」のもとになっているのが、実はまだはっきりと分かっていないところがあり、有力な話としては、「猿楽」という演劇をもとにしたのでは、と言われています。
「猿楽」とは、何かのものまねをしたり、面白おかしく演じる演劇です。これも「歌舞伎」と同じように、一般大衆向けの演劇としてありました。そののち、「猿楽」を行う団体として「座」がいくつかできました。
その中で、観阿弥・世阿弥が舞い方などをより工夫したりして、だんだん「能」に近いものを作っていきました。室町時代の足利義満が観阿弥・世阿弥が作った「猿楽」を認め、一般大衆向けの演劇と差別化をはかり、上流階級向けの演劇として「能」ができたと言われています。
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なるほど。「猿楽」は一般大衆向けの演劇、「能」は将軍や貴族階級向けの演劇となっていったのですね。では、「狂言」はどんなものですか。
梅若 先生
「狂言」は、「猿楽」の名残をそのまま引き継いでいるので、現在の「狂言」も何かのものまねをして笑いをとる演劇であったり、その時代の出来事を風刺して演じるものとして伝えられてきています。
vinice
「能」も「狂言」も「猿楽」をもとにしているということですが、「能」も面白おかしく演じることもあるのですか。
梅若 先生
しかし、「能」の曲目の間に狂言の方がでる「間狂言(あいきょうげん)」があり、そのときは面白い話をすることもありますが、基本的には「能」の演目では、笑いはないですね。
vinice
なるほど。「能」はやっぱり芸術性の高いもので、一般的には少し敷居が高いというイメージが強いようです。
LESSON2では、もう少し「能」について深く教えていただきたいと思います。
vinice
「能」の曲の構成は2種類あるのですか。
梅若 先生
はい、「現在能」と「夢幻能」に分けられます。「現在能」は、時間の経過とともに話が展開していき、「夢幻能」は、死者の霊などのこの世の者ではない人物が現れ、現実と夢が交差して話が進んでいくものです。
また「能」は、前場、後場というように、基本的に前半と後半に分けて上演します。
中には、前場と後場をつなぐために狂言師が登場することもあります。これが
「間狂言(あいきょうげん)」と言われるものです。
vinice
「能」と「狂言」は同じ役者が演じることがあるのですか。
梅若 先生
いいえ、「能」と「狂言」は家系が異なるので、別の役者となります。
私の梅若家は「能」のシテ方です。
vinice
シテ方とは何ですか。
梅若 先生
能の舞台にでる役者には、シテ方とワキ方、狂言方があります。
シテ方には、シテ、ツレ、トモ、地謡(じうたい)があります。
シテとはメインの役者で主役です。シテは、舞台のほぼ全面を使って舞を舞ったりして演じます。ツレは、主役に関連性の強い人物であることが基本的には多いです。トモは、シテの従者であることが多いです。そして、地謡(じうたい)は6人~8人構成で、同じ言葉で謡(うた)いを謡います。地謡とは、物語の進行をするナレーションや、言葉による伴奏をする者で、例えば、盛り上がる場面は、盛り上がるように謡い、悲しい場面ならば悲しいように謡うのが地謡の役割です。
ワキ方は、シテ、ツレ、地謡(じうたい)、以外の人で、ワキもシテと関わりがある人物ではありますが、舞台の全面を使うシテとは異なり、ワキの位置が決まっています。
ワキ方の人は、基本的にワキ座に座っています。主な役者としては、シテ・ツレ・トモ・ワキ・狂言方と、先ほどお話ししました、狂言の人が物語の間にでてきて前半と後半の話をつなぐような語りを行う、間狂言(あいきょうげん)の人です。
他には、お囃子方(はやしがた)という楽器を弾く人がいます。笛、小鼓(こつづみ)、大鼓(おおつづみ)、太鼓がいますが、太鼓は曲目によっている場合といない場合があります。 小鼓は右肩の上に鼓を置き、手でたたき、「ポンポン」という柔らかい音がでるのに対し、大鼓は左腰の横に置き、右手に皮をつけて叩くと、「カンカン」といった乾いた音をだします。太鼓は台をつけて置き、中心の丸をバチでたたいて演奏します。 お囃子方は演奏するだけでなく、掛け声などもかけ、間合いをとる役割もあります。
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太鼓はいる場合といない場合とのことですが、どんな曲目のときに演奏するのですか。
梅若 先生
太鼓がでてくるのは、激しい曲で戦いの場面がある曲が多いですね。
笛、小鼓、大鼓、太鼓を「四拍子」と呼び、太鼓が拍子のリードをとり、太鼓がいなければ、小鼓が拍子をとります。
vinice
「能」の演目はどれくらいの時間がかかるのですか。
梅若 先生
長いものだと2時間くらいかかる曲目もありますが、だいたい1時間前後です。
元々は、1回の公演で5番までやっていたのです。
細かく「能」を分けると、5種類に分けられるのですが、長時間になってしまうので、今では2番か3番までです。1番だけのときもありますが、そのときはだいたい
「狂言」も一緒に上演しますね。
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5番までとは、それは長いですね。
梅若 先生
5番とは、5つのジャンルに分けれらていて、「神・男・女・狂・鬼」の順番通りに上演することを「五番立(ごばんだて)」と言います。
実際には、5つの「能」の間に4つの「狂言」が上演されます。
「神(しん)」・・・登場した神が平和や幸福、五穀豊穣を約束する物語。
「男(なん)」・・・武将の亡霊などが、死後も修羅道で苦しんでいる中、救いを求めて現世に現れる物語。
「女(にょ)」・・・・恋愛と苦悩が物語の中心となり、多くは亡霊の女性の恋する気持ちが成仏せずに漂っている物語。
「狂(きょう)」・・・何かを思いつめて心乱れた姿の物語。
「鬼(き)」・・・・・・シテが鬼や天狗、妖精、竜神などになる物語で、舞やお囃子(はやし)が華やかで、演出も派手。
このような内容で5つの曲目を演じます。
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「五番立(ごばんだて)」を見るにはボリュームがありますが、全てのジャンルを見てみたいものです。
次回は、梅若さんの能との出会いについてなどをお伺いしたいと思います。
vinice
ところで、梅若さんは「能」をいくつから始めたのですか。
梅若 先生
父の影響で5歳から能の世界に入りました。父がやっていなければ、能の世界に入ってなかったと思うので、父の影響は大きかったですね。
初めて舞台に立ったのも5歳のときでしたが、舞を舞うシーンを抜粋して演じる「仕舞(しまい)」で舞台に立ちました。 「仕舞(しまい)」は短いもので約1分、長いもので約5分~10分くらいのものです。
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ずいぶん小さなころから「能」の世界にはいられたのですね。私が5歳のときなんて、おままごとで遊んでいたと思います・・・。
「能」を見にいらっしゃるのはどんな方が多いのですか?
梅若 先生
やはり、ご年配の方や、「能」を習っている方が多いですね。最近では外国の方も結構いらっしゃいます。
vinice
若い方で、「能」を見に行くというのは少ないのですね。「能」をはじめ、伝統芸能こそ、もっと若い方が興味を持って見るようにしないと、いずれなくなってしまうのではないかという心配もありますよね。「歌舞伎」のように、芸能活動を積極的にされ、TVで見かけることも多くなり、その方々が有名になることで“歌舞伎を見てみようかな・・・”と興味を持つ若い方も多いと思います。
「能」の方ももっとアピールをしたらいいのに、とつい思ってしまうのですが。
梅若 先生
そうですね。「能」は、若い方へのアピールが足りていないと、私も思います。
私が大学生の頃、小学生に様々な日本の伝統を教えることをテーマとしたイベントの中で「能」を教えたことがありました。大学に「能」のサークルなどもあります。このように、若い方への「能」の普及活動もしてはいるのですが。
しかし、現状では、「能」はなかなか普及していませんし、観客からお金をもらう商業演劇としてもなかなか確立されていません。そのような理由もあり、「能」の役者も「能」だけで生計をたてている方は少ないのです。
vinice
「歌舞伎」の世界ではそんなことないように思うのですが、その違いはどこにあるのでしょうか。
梅若 先生
「歌舞伎」ができたきっかけは、広く一般の人に向けた大衆演劇で、商業演劇だったことに対し、「能」はもともと室町時代の将軍たちに見てもらう演劇で、多くの人々に見てもらう想定では作られていないのです。客席数も「歌舞伎」よりも断然少ないのです。こういったことでも、発展しづらい演劇ということにつながると思います。
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なるほど。「歌舞伎」は商業演劇、「能」は商業演劇でないために、発展しづらいのですね。
梅若さんにとって、「能」の魅力とは何ですか?
梅若 先生
一番は、他の演劇と表現方法が大きく違う部分に魅力を感じます。
例えば、「ハムレット」などの西洋演劇は、いかに他の役者と違うことをして自分の個性をだすかがポイントになります。
一方、「能」は、必ず舞を舞うシーンがあるのですが、舞は特殊な演目以外動きが似ています。例えば、舞台を歩く道順などが似ていたりと。
でも、曲目によって、恋の話だったり死んでしまった人の話であったりストーリーは違います。それを同じ動きの仲でどう違う感じをだすか、なのです。 そこが大きく違う部分だと思います。人と違うことをして個性をだすのと、人と同じことをして個性を出すことが「能」以外の演劇と「能」の違いで、「能」の難しい部分でもあり、面白い部分でもあります。 上手な人の舞を見ると、それが伝わってきますね。
vinice
なるほど。「能」は奥が深そうですね。数多くの舞台を見ないと「能」の難しさも面白さも分からないですよね。
では、「能」を見に行く人のマナーはありますか。
梅若 先生
そうですね。服装で言えば、カジュアルな格好でも問題ありませんよ。
また、舞台が始まる前に拍手をすることがありますが、「能」はそういったことはしません。舞台が全て終わって拍手をするものです。「歌舞伎」では掛け声などを観客がかけますが、「能」ではありません。
vinice
「能」は静かに見るものなのですね。
若い方にも是非「能」を見てほしいものですが、やはり、敷居が高く感じてしまうのでしょうね。
梅若 先生
そうですね。「能」はもともとが将軍のための演劇としてできた経緯があるので、敷居が高く感じてしまうのかもしれませんね。
vinice
お稽古はとても厳しいものでしたか。
梅若 先生
私はシテ方の人間ですが、シテ方の稽古以外にも、お囃子の稽古もありました。
シテが謡(うたい=セリフ)を謡うとき、鼓(つづみ)などのお囃子(はやし)と一緒に謡うのですが、お囃子の伴奏を聞きながら謡うので、打ち方の違いで、謡う側も謡い方を変えることもあります。その場で聴きながら判断をして謡っているのです。
鼓の打ち方によって、謡のどの言葉を伸ばして謡うか、と考えるのです。
お囃子の人とのコミュニケーションも大切ですし、お囃子を知っていないとできないことです。
vinice
毎回、鼓の打ち方が異なることもあるということですね。
梅若 先生
そうです。その場の雰囲気で変わります。逆に、謡い方がリードする部分で、謡を伸ばさず謡ったら、鼓は謡い方に合わせた打ち方をします。
vinice
同じ曲目をやっても、演じる人によって変わってくるということですね。指揮者によって曲の印象が異なる、オーケストラのようなのですね。
梅若 先生
そうですね。演じる人によって印象が全く変わる可能性がありますね。
vinice
なるほど。 日本人に生まれながら、日本の伝統芸能についてあまり知りませんでしたが、今回の取材を通して、「能」について知ることができました。
つい先日、時代劇で「能」を演じているシーンを見かけて、シテ方の様子や、お囃子、地謡の様子を注意深く見ました。知っていると
時代劇の見方も変わり面白いものですね。 是非、一度「能」の舞台を見てみたい、と思いました。どうもありがとうございました。