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奥深~い「缶詰」のはなし

一家に必ずある「缶詰」。キッチンのどこかにひとつやふたつ“必ずある!”といっても、過言ではありません。
「缶詰」の食品は、そのままでも美味しく食べることができるし、コンパクトに長期保存できることから、
家庭の常備食品として購入している方も多いのではないでしょうか。
でも、つい収納の奥にしまいっぱなし・・・なんてこと、ありませんか?
今回は、あけぼの鮭缶でお馴染みのマルハニチロ㈱の天野先生に、
奥深い「缶詰」のおはなしをうかがいました。

■Lesson1 缶詰のあゆみ
■Lesson1 缶詰のあゆみ

講師:天野 秀隆氏(写真右)
マルハニチロ株式会社 加工食品ユニット 
グロッサリー事業部 部長

2014年4月1日、マルハニチロホールディングス、マルハニチロ水産、マルハニチロ食品、マルハニチロ畜産、マルハニチロマネジメント、アクリフーズの6社は合併し、マルハニチロ株式会社として新たに誕生いたしました。

マルハニチロ(株)ホームページ:http://www.maruha-nichiro.co.jp

■Lesson1 缶詰のあゆみ

VINICE
缶詰というと「マルハ」や「あけぼの」のマークの、魚の缶詰が頭に浮かびます。おそらくどこの家にも小さいころからキッチンにはさばの缶詰があったのではないでしょうか。今回は、改めて「缶詰」について教えていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。


MARUHA
よろしくお願いします。


VINICE
缶詰は、いつごろからつくられるようになったのですか?


MARUHA
今から約200年前の1804年、フランスでつくられた「びん詰め」が最初です。金属缶やびんに食物を入れて密封し加熱殺菌をして保存するという缶詰の原理を、フランスの二コラ・アペールが考え出しました。「びん詰め」の栓はろうで固められて密封されているものでした。これは、ヨーロッパ各国へ戦力を広げていたナポレオン率いるフランス軍が、軍用食料として「びん詰め」が活用され普及していきました。その後、「ブリキ缶」になっていったのはイギリスで1810年にピーター・デュランによって発明されました。
やがて間もなく缶詰工場ができました。当時の缶を開封するには、ハンマーでたたき割ったそうです。さらに1821年にアメリカに渡って缶詰の製造が本格化しました。このときもまた、1861年にはじまった南北戦争の軍用食料として需要が急に増えていきました。


VINICE
日本ではいつごろからつくられたのでしょうか?


MARUHA
日本は、1871年に長崎で松田雅典という人がフランス人の力を借りて、いわしの油漬缶詰を作ったのがはじまりです。明治政府は産業振興のために西洋文化を積極的に導入し、缶詰の製造をはじめました。
内務省では1874年から缶詰の研究に着手して、そのあと1877年に日本初の缶詰工場、北海道開拓使石狩缶詰所が誕生して石狩川のサケを原料に10月10日「さけ缶詰」の製造が開始されました。


VINICE
さけ缶が最初なのですね。


MARUHA
その後、缶詰が工業的に生産されるようになっていくわけですが、昭和初期には、さけ、かに、まぐろ、いわし、みかんなどが缶詰になって重要な輸出品となっていきました。まだたいして生産量は多くありませんでした。商業生産開始といえるのは、1910年です。その後イギリス向けに、紅サケの輸出、白鮭の缶詰を輸出するようになりました。そして、本当に日本に普及したのは、関東大震災(1923年)の時に配給食糧として缶詰が使われたことがきっかけでした。
アメリカでは、南北戦争(1861年)の後でした。


VINICE
缶詰は海外輸出品として発達するのが先なのですね。


MARUHA
缶詰は当時の日本にとって外資獲得の為の重要な商品でした。昭和30年以後は、国内向けが多くなり今に至っています。


VINICE
わたしたちが、缶詰を保管や運びやすい食品であると非常食として考えているのと同じですね。


★「缶詰の日」10月10日は、このような歴史の記録をもとに、
日本缶詰びん詰レトルト食品協会が、同会の創立60周年を機に1987年に制定されました。

■Lesson1 缶詰のあゆみ

MARUHA

日常の食品というより、やはりこうゆうところ、・・・震災のときの予備の食品として普及したのがきっかけかな。震災による火災で、横浜倉庫の「あけぼののサケ缶」が焼失して、残った缶詰を急きょ、被災者の援助物資として提供し、やがて国内に普及しはじめたのは事実です。だいたい関西方面は、西宮まで。そもそも現在関西地方で「サケ缶」はあまり食べないのですが、ただある一部では
食べていました。
それは戦時中に「サケ缶」が配られていたので知っていたそうです。だいたい兵庫県まででしょうか。
戦後も、タンパク源として人気になっていきました。


VINICE
「サケ缶」が、全国で食べられていたわけではなかったのですね。


MARUHA
日本での商業生産開始は1910年、とさきほど言いましたのも、その3年半前、日露漁業協約によりロシア沿岸領域で日本の漁業域が承認され、北洋漁業が拡大し日本海域での水揚げが活発になったという背景があったからです。このときつくったのが、最初の「あけぼの さけ缶」になります。当時の缶詰は、ブリキ板を足踏み機で切断するなど人力でした。その後おいしい「サケ缶」をつくるために、船に工場がある、母船式サケ・マス漁業がはじまりました。母船のまわりにいる小さな船がサケをとり、母船に水揚げして、船の中で加工していくという、海の上の工場です。これが「サケ缶」大量生産の歴史のはじまりです。


VINICE
サケ工船・・・海上の船の中でサケ缶をつくる工場ですか・・・・。


MARUHA
現在の缶詰工場は、陸の上です。しかし、昔はできるだけ鮮度をおとさず加工するために、母船式をつかったのです。


VINICE
スケールが大きいですね。


MARUHA
あけぼのさけ缶がつくられるようになって2010年でちょうど100年になりました。それを記念して、百年ブランド「あけぼのさけ本」をつくったんです。どうぞご覧になってください。


VINICE
ありがとうございます。見応えがありますね。パッケージデザインも懐かしいものもありますね。
サケ、シャケの違いも書いてあります・・・。さけのトリビア面白いですね。これは、住まいるCafeVINICE大崎のお店の本棚に入れさせていただきます。

次のLesson2では、缶詰の特徴についてうかがいます。


面白いホームページもありましたのでご覧ください。
マルハニチロ株 サーモンミュージアム

奥深~い「缶詰」のはなし
https://www.vinice.jp/wp/wp-content/uploads/2016/12/0-0.jpg

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